こんにちは。長岡京市商工会経営支援員の小玉です。
今日は、私たちNSBの代表でもあるケーキハウスニルスの加藤シェフをご紹介します。
北海道出身のシェフが勤めた超有名店の志望理由は実は◯◯だった!?
製菓業界最大手から町のケーキ屋さんへ。最後までお付き合いください。
<シェフ紹介>
氏名 加藤 周
生年 昭和47年
出身地 北海道音更町(帯広の隣)
世界の大きさを◯◯◯で感じる
ー今日はよろしくお願いします。まずは職歴をお聞かせいただけますか?
(加藤シェフ) 高校を卒業してすぐ北海道の『六花亭』に入社しました。そこで6年間勤めあげたのち京都長岡京の『ニルス』で働いています。
―あの『六花亭』ですか!?ということは小さなころからパティシエに憧れて?
(加藤シェフ) 定時勤務できっちりと休みがあって、給料もそこそこあったからです(笑) 会社の方針が「仕事も遊びも一所懸命にせよ」だったので、休日はサッカー、スキー、バイクなど北海道中を回っていました。
―いわゆる「ブラック」な勤務形態が多いと聞く業界ですが、それはそれで貴重な体験ですね。
(加藤シェフ) 若い時に時間とお金に少し余裕があったので本当に貴重な体験ができました。今でも忘れられないのは、カナダにスキーに行った時のこと。この時世界のデカさを肌で感じることができたんです!店の若い子にも同じ体験を…と思うのですが町の小さな店では忙し過ぎて時間がなかなか作れないんです(苦笑)
人生の転機と奥様との出会い
―そんな北海道生活を満喫していた加藤シェフが、京都にいらっしゃることになるきっかけは?
(加藤シェフ) 妻との結婚を機に彼女の実家であるこのニルスで働くことになりました。私が働いていた六花亭には全国の菓子店のご子弟が修行にやってきていました。彼女もその一人で、難関の入社試験に合格し同じ職場で働いていたんです。
―故郷を離れることに寂しさはなったですか?
(加藤シェフ) 六花亭ほどの会社になりますと、仕事はすべて分業になります。事務系と職人はもちろんですが菓子作りをしていてもパーツを作るのみで一人で菓子を仕上げることはありません。そんないわゆる「工場」の仕事に疑問を感じ、職人として新たなステージに立ちたいと思っていた時期に重なりましたので、進んで京都行を決めました。
―実際「京都・長岡京」に来ていかがでしたか?
(加藤シェフ) ケーキ屋さんの仕事は新しいことの連続でした。ケーキ作りはもちろん、原価計算やパートさんの管理など、先代から菓子作りと経営を叩き込まれました。先代が作り上げた『ケーキハウス ニルス』には愛があふれていたんです。なんといっても「ニルス」という店名自体、「ニルスの不思議な旅」という児童文学作品に子供たちの姿を重ねてできたものだったんですから。
受け継ぐ伝統、拓く未来
―加藤シェフが先代から受け継いだ、ニルスさんの伝統とはどんなものでしょうか?
(加藤シェフ) 先代は「おいしいもの」へのこだわりがとても強い方ですので、根強いファンがたくさんいらっしゃるんです。ですから、焼菓子など先代の時から作り続けているものがたくさんあります。
―では、加藤シェフの代になってから切り拓いている新しいニルスさんの特徴は何ですか?
(加藤シェフ) 素材の持つ個性を大切にしています。フルーツなどは産地の持つ個性や食べごろを見極めるために、休みの日には生産者さんの元を訪れて、交流を深めています。
―ここでも若い時に北海道中を駆け回った行動力が活かされてそうですね。
(加藤シェフ) (笑)
パティシエを目指す皆さんへ
―もしかして、今は京都中を駆け回ってらっしゃるのでは?
(加藤シェフ) (笑)本当にそうかも。私も先代に負けないくらい「おいしいもの」へのこだわりを持っています。ですので食材探しと同様、美味しいといわれているお店にケーキを買いに出かけています。研究のためですよ!
―若い人にも負けない行動力ですね!ではその若い人たちにアドバイスをお願いします。
(加藤シェフ) うちの若い子達にも言っているんです、『とにかく食べなさい』と。日々変化するフルーツの味だったり、コンディションによって微妙に変化する生地の状態だったり、食べることでその食材への理解が進みます。そうすると、お客様に一番食べてもらいたい味をおススメすることができるようになるんです。
―加藤シェフのこだわりがビシビシ伝わってきました。最後にシェフのこれからの夢をお聞かせいただけますか?
(加藤シェフ) 北海道に支店を出店することです。地元の友人や仲間たちが待ってくれていますので。
―その時はNSBのみんなで研修に行きましょう!もちろんスキー板を担いで。今日はありがとうございました。