それは偶然?それとも運命? ―プチ・ラパン―

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プチ・ラパンの友田シェフ

こんにちは。長岡京市商工会経営支援員の小玉です。

今日は長岡京市役所前ロングヒルのフランス菓子とタルト専門店『プチ・ラパン』の友田シェフをご紹介します。

フランスをこよなく愛し、フランスの食文化を一人でも多くの方に知ってもらいたい友田シェフ。

そんなシェフのプチ・ラパン開業にいたる道のりは偶然の連続だった!?

人々の出逢いからはじまるプチ・ラパン誕生秘話。今日も最後までお付き合いください。


<シェフ紹介>
氏名 友田 成生
生年 昭和49年
出身地 京都府長岡京市


友田シェフと小玉経営支援員の会談

大学を中退したのは、就職超氷河期だったから!?

―今日はよろしくお願いします。早速ですが、学生の頃からお菓子作りに興味があったのでしょうか?

(友田シェフ) 高校に入るまではお菓子も料理も全く興味ありませんでした。実は、中学生くらいまでは学校の先生になりたかったんです。教えることが好きだったので。定期テストの前には、自宅で塾っぽいことをやってました。でも、先生という職業は勉強を教えるだけでなく、子供たちの人生を左右するものなので責任が重く、難しいなと思いあきらめました。

―ホームページで拝見しましたが、高校の時にフランスに興味を持たれて大学の専攻はフランス文学。このころからフランスは外せなかったのですね?

(友田シェフ) そうですね。特に文学が好きだったわけではないのですが、有名な作品に出てくる料理や食事のシーンに一人、萌えてました。ただ、周りの友人が就職活動に取り組み始めるものの時代は就職氷河期、請求した資料すら届かない時代でした。私も、卒業しても仕事がないのではという危機感が……。それが、今勉強しているフランス文学って?という自問につながりました。その時、昔の料理に対する思いがよみがえり、ゼミの教授に相談したんです。教授の答えは「大学なんて早く辞めてしまいなさい。」1か月後には東京の料理学校に入学していました。

書類に目を通す友田シェフ

人のご縁でつながる転職

―何だか波乱の予感が……学校卒業後の最初のお仕事はどのように探されたのですか?

(友田シェフ) 学校に行きながらコンビニの深夜のバイトをしていたんです。するとある日、東京の某有名レストランでシェフパティシエをしていた学校の元先生がお客様として偶然来店されました。『仕事どうしてる?』「見つかんないんですよ。」『じゃあ、うち来る?』数分で最初の勤務先が決まりました。配属されたのは横浜の支店で、120席が毎日3回転するとても忙しいお店で、給食を作るくらいの寸胴鍋でスープを作っていました。

―そんな偶然があるんですね!いろいろな職場を経験されたようですが?

(友田シェフ) 横浜に勤めていた時のある日の帰宅途中、電車が人身事故で止まってしまったんです。その時、偶然にも普段はあまり話すことのない職場の先輩と同席になって、大阪の仕事場を紹介してもらうことになりました。

―えぇっ?また偶然ですか!

(友田シェフ) その紹介していただいたお店も、相談したときに偶然一人抜けたところだったそうです。 このお店が今後師匠のお店と呼ぶことになるお店でした。その後はデパートのテナントのレストラン、結婚式場を経て京都のホテルの製菓部門に入り初めてパティシエと呼ばれるようになりました。

フェルト製の小物

ラブストーリーも偶然に!?

―もう実力なのか、お人柄なのか……。ところで一緒にお店を切り盛りされてる奥様との出会いについてお聞かせいただけますか?

(友田シェフ) えぇっ!その情報要ります?

―皆さんうかがってますので。

(友田シェフ) 高校の時の部活の先輩なんです。彼女はよくクッキーや手作りのお菓子を差し入れに持ってきていました。それで私も対抗してお菓子を作って持って行っていたのですが、はるかに彼女のお菓子の方が評価が高くて、更に対抗心を燃やしていました。あ、これが私のパティシエの原点だったのかも。

―えー、あまり恋バナに発展しそうな気がしないのですが、お付き合いのきっかけは?

(友田シェフ) えーと……それは秘密です。中学生の時剣道をしていて、高校でも剣道部に入ろうと決めていました。ただ、教室の周りで練習していた吹奏楽部が楽しそうだったんで見学だけしてみようと思ったんです。そうしたらいきなりその日が偶然にも入部式、トップバッターで抱負をどうぞと言われ、剣道部の3倍ほどの人数の先輩方に注目されては「3年間頑張ります」としか言えませんでした。ここで剣道部に入っていれば今の妻と出会うこともなく、これは偶然ではなく……運命ですね!

ドイツのロンネフェルト社の紅茶

目指すはフランス菓子の伝道師!?

―いきなり「偶然=運命」説が飛び出してきましたが、運命のプチ・ラパン開店のお話を伺いましょう。

(友田シェフ) ホテルでは幅広くいろいろなお菓子を作っていたのですが、やはりフランス菓子を作りたいという想いがわいてきて。それなら自分で開業するしかないと思いました。

―ずっと抱かれていたフランスへの思いを形にしようとされたのですね。では、プチ・ラパンというお店にはどのような思い入れがあるのでしょうか?

(友田シェフ) プチ・ラパンとはフランス語で「小さいうさぎ」を意味します。発音しやすくてかわいらしかったでこれに決めました。プチ・ラパンを通じてフランス菓子の魅力やフランスの文化を皆さんに知ってもらえたらうれしいですね。だから、皆さんが知らない伝統菓子や地方菓子をもっと作っていきたいと思っています。

―今後はどのようなお店にして行きたいですか?

(友田シェフ) なんでも基本が大事だと思います。素材選びから製造にいたるまで基本に忠実にお菓子を作っていきたいと思います。あと、ぜひフランス好きの方にはご来店いただき、いろいろなお話ができたらと思います。と言っても私のフランス滞在歴はパリに二日半だけなので、皆さんにたくさん教えていただくことになるでしょうけど。

―経営支援員としてはフランスもお客様も大事にしてほしいですが、運命の奥様も大切に。夫婦喧嘩の仲裁は私の業務外ですから!今日はありがとうございました。

タルトとフランス菓子の専門店「プチ・ラパン」のホームページへのリンク
タルトとフランス菓子『プチ・ラパン』について
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