こんにちは。長岡京市商工会経営支援員の小玉です。
今日は『ケーキの店 のぐち』の野口シェフをご紹介します。
NSBメンバー最年長の野口シェフは何でも一人でこなし何でも作ってしまう頼れる存在です。その秘密はその経歴に垣間見ることができました。メンバーも知らない、謎多きその半生を紐解きます!今日も最後までお付き合いください。
<シェフ紹介>
氏名 野口 和彦
生年 昭和29年
出身地 鹿児島県
何でも一人でこなす、スーパーシェフ?
―いつうかがってもお一人みたいですが、すべてお一人でされているんですか?
(野口シェフ) そう。一人でやってるからなかなか会議も行けなくて申し訳ない。休みの日も型作ったりしてるからなかなか出られないんです。
―え、型も自作なんですか!?そういえば、パティシエの息子さんがいらっしゃいませんでしたっけ?
(野口シェフ) いますよ、でも息子が20歳くらいの時に「あと継ぐわ」って言ってくれたんだけど、『継がなくていい』って言ってあるんです。その後フランス行ったりヨーロッパいっぱい巡ったりで、今はスペイン人の嫁さんとスペインに住んでいます。
―のぐちさんのあのオシャレなホームページはどなたが担当何ですか?
(野口シェフ) あれもその息子。スペインから更新してくれてるみたい。コンピューターはさっぱりだからよく解らないから。いつの間にかそんなのも勉強してたみたいなんです。
鹿児島から出てきて就いた職業って!?
―では、お店をオープンするまでのお話を聞かせていただけますか?
(野口シェフ) 高校を卒業して、まず神戸にいた兄の元でフリーターで過ごしました。しばらくして定職につくために京都に来ました。それで車の整備士になったんです。
―えぇっ?整備士ですか!
(野口シェフ) そう。車だけじゃなくてガスとか電気も扱えるし、クレーンの免許も持ってますよ!
―だから、型を自作できたりするんですね!!
(野口シェフ) (笑) でも、仕事を覚えてくると一つ気がかりなことが出てきたんです。
ケーキを食べたことがないのに、パティシエに!?
―それは何ですか?
(野口シェフ) 修理工場って結構な土地がいるでしょ?独立しようと思ったら少し難しいかなと。それで、家でできる仕事はないかなと思い始めていたんです。
―それでパティシエになったんですね?
(野口シェフ) まだ。(笑) 当時は、南区にあった会社の寮に住んでいたんだけどここが閉鎖することになって。それで住むところを探しに長岡京に来たんです。そこのご近所さんに和菓子屋さんにならないかって誘われたんですよ。
―あれ、和菓子ですか!?
(野口シェフ) でも、これからは洋な気がして。ハイカラそうでしょ。ま、ケーキなんか食べた事もなかったんだけど。それで27歳の時に京都市内で修業を始めて10年ほど頑張りました。
目標は75歳まで現役!
―修行中はやっぱり大変でしたか?
(野口シェフ) 朝から仕事をして、だいたい3時ころが定時で製造の仕事が終わるんだけど、だいたいそれから販売させられるのが嫌だったなぁ。接客も苦手だし、鹿児島から出てきてるから訛りも気になってね。そのおかげで今一人でも営業できてるんだけど。
―やっぱり今までの経験の集大成なんですね!これからの目標とかはありますか?
(野口シェフ) あと10年、75歳まで現役!工事中は店の前が通行禁止になった利して大変だったけど、駅ができてからも人の流れが変わってしまったり、近くの団地は高齢化が進んでお客さんが少なくなってきてはいるけど、新聞なんかで流行りをチェックしたりして商品開発につなげているし、まだまだ頑張りますよ!
―NSBみんなの先輩なのに一番バイタリティがあって前向きな野口シェフでした。若さ吸い取られそうだからこの辺で失礼します!